札幌高等裁判所函館支部 昭和44年(ネ)10号 判決 1969年4月15日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人を本籍北海道亀田郡戸井村字釜谷一五六番地亡橋崎貞市の子として認知する。訴訟費用は第一、二審とも国庫の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
その方式及び趣旨よりいずれも真正な公文書と推定される甲第三、四号証によれば、控訴人は昭和三八年五月一三日に生れ石橋たきの子として出生の届出がなされていること、本訴において控訴人の父と主張される橋崎貞市は同年一月一六日に死亡したことがそれぞれ認められ、更に本訴が昭和四三年三月七日に提起されたことは記録上明白であるから、本訴は右貞市の死亡後三年を経過してから提起されたものであることが明らかである。
ところで、民法七八七条但書において認知の訴の出訴期間を父又は母の死亡の日から三年以内と定めた所以は、認知請求権者の利益保護を図る一方父母の死後における強制認知を認めることにより、一旦生じた相続関係の遡及的変動を際限なく可能ならしめ、長期にわたり社会協同生活の基本秩序をなす身分関係を浮動におくこととなる等の弊害を防止する必要上、両者の調和点として設けられたものと解され、右期間の制限に服させるのが相当でない特別の場合には特別立法をもつて対処していることに鑑みれば(昭和二四年法律第二〇六号認知の訴の特例に関する法律)、前記期間の定は妄りにその例外を許さない趣旨のものと解するのが相当である。
そしてその方式及び趣旨より真正な公文書と推定される甲第六号証に原審証人佐藤吉太郎、同石橋石太郎および原審における控訴人法定代理人石橋たきの各供述を綜合すると、控訴人の母たきと貞市とは、昭和三六年八月訴外佐藤吉太郎の媒酌により双方親族を集めて仮祝言を挙げ、以後同棲生活を続け同三七年三月一〇日には隣人約三〇名を招いて披露をも了した内縁の夫婦であること、右内縁は前出の貞市死亡時まで継続していたことが認められ、従つて右内縁関係成立後二〇〇日後で貞市死亡後三〇〇日内に出生した控訴人は、右貞市に対する関係で父性の推定をうける子であるといいうるものの、かかる場合に前記趣旨のもとに設けられた出訴期間の制限を排除すべき合理性はこれを見出し難く、この理は本件認知の訴の本質を控訴代理人主張のように確認の訴と解しようと異るところはないといわざるをえない。
以上によつてみれば、控訴人がその父と主張する貞市の死亡後三年を経過して提起したこと先にみたとおりの本件認知の訴は前記法条但書に違背し不適法として却下を免れず、これと同旨の原判決は相当であるから本件控訴はこれを棄却すべく、民事訴訟法三八四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判示する。